メニュー

足利市の山林火災、山火事と大岩山毘沙門天の避難、寄付について

 このページでは、足利市山林火災の経緯と、大岩山毘沙門天での避難の経緯をご説明しています。

 そして、御本尊毘沙門天像をはじめとした文化財修復のためのご寄付をお願いしています。

足利市の山林火災について

大岩山毘沙門天の避難活動について

御本尊毘沙門天・文化財の修復寄付について


足利市の山火事

足利市内から見た山林火災の写真

2021年2月21日(日)午後3時半すぎ、足利市の中西部にある西宮町に位置する両崖山山頂付近で山火事が発生。3月1日に足利市長により鎮圧宣言が発表されるまで、9日間燃え続けることとなりました。幸いにも人家への被害や人的被害はないまま、鎮火へと向かっております。


足利市の山火事の消火活動

大岩山毘沙門天本坊から見た自衛隊のヘリコプターによる消火活動

大規模な山火事となった足利市の山林火災ですが、消防隊や自衛隊が各地から消火活動に駆けつけて下さいました。足利市の消防隊のほか、県内では佐野、小山、鹿沼、宇都宮、那須など、県外では群馬県の桐生、伊勢崎、太田、東京消防庁などから部隊が駆けつけ、また、ヘリコプターは自衛隊、栃木県航空隊、埼玉県、茨城県、宮城県、福島県、東京消防庁、横浜消防局などから駆けつけて下さり、消火・偵察活動を行って下さいました。


足利市の山火事の被害状況

 両崖山山頂付近で始まった山火事は、冬の空気が乾燥した状態の中、強風に煽られ、西側の天狗山に飛び火するなどして一気に延焼が拡大。
 被害状況は、両崖山山頂にある御岳(みたけ)神社(御嶽(おんたけ)神社)が全焼。山林は全体で約106ヘクタール(東京ドーム約20個分)が焼けてしまいました。避難勧告は最終的に305世帯に出されましたが、幸いにも民家の焼失やけが人はありませんでした。

大岩山毘沙門天本坊からみた足利市の山火事

足利市の山火事の原因

2021年3月1日現在、出火の原因は特定されておらず、今後の調査結果を待つ状況となっております。

一説には両崖山山頂付近のハイキングコース休憩所近くでのタバコの火が原因とも言われています。


足利市の山火事の復興、復旧

 3月1日現在、足利市から具体的な復興計画は発表されておりませんが、ふるさと納税の仕組みを利用して災害復興の寄付金を受付しております。2月28日の段階で1200件以上、金額として1300万円以上の寄付が寄せられました。また、足利市は災害復興のボランティアを募集を検討している模様です。


大岩山毘沙門天の避難活動

大岩山毘沙門天の避難活動

 大岩山毘沙門天では、足利市の山火事の延焼が広がり、境内まで火の手が迫り、焼失する可能性があると判断しました。避難行動に相当の時間がかかることが予想されることから早期に避難活動を開始致しました。2月23日に避難を開始し、27日まで避難活動を継続致しました。


大岩山毘沙門天の避難活動(2月23日)

大岩山毘沙門天本堂の御本尊毘沙門天像の避難の様子

 大岩山毘沙門天では、山火事が拡大し、最勝寺本坊から火の手が確認できた23日時点で避難を開始致しました。まずは、本坊の御本尊不動明王像をはじめとした仏像を梱包し搬出するところから取り掛かりました。近隣の寺院から住職が駆けつけて下さり、作業をお手伝い下さいました。

 その間に、近隣住民の皆様にご協力を仰ぎ、約45名の方に毘沙門天本堂へお集まり頂きました。地元の建設会社の方には2トントラックをお持ち頂き、御本尊をはじめ、大型の絵馬を搬出致しました。避難の際は優先順位をつけ、高い順から次々と運び出しを行いました。避難場所につきましては、足利市の施設に避難しております。作業は翌24日の午前3時頃まで継続致しました。

 御本尊毘沙門天像が出堂されるのは、本堂が雷火によって焼失後、江戸時代宝暦12年(1762年)再建された際に運び込まれた後、恐らく初めてのことになります。本来であれば専門の業者に依頼し、1ヶ月などの長期に渡る調査、計画の後に運び出すところを、急遽数時間という短期間の中、地元の方々のご協力のもと運び出しました。長期の経年劣化が見られる中でこうした搬出を行ったため、損傷してしまった箇所もございました。再び本堂の御厨子にお戻り頂くには、損傷の状況や歴史的な調査の後、修復を行ってからとなります。現在の段階ではこうした調査・修復の見通しは立っておりません。


大岩山毘沙門天の避難活動(2月24日)

大岩山毘沙門天の金剛力士像避難の様子

 23日の段階で、本堂内の優先順位が高いものは避難が完了していたため、明くる24日には山門に安置された阿吽(あうん)の金剛力士像(仁王像)の避難にとりかかりました。

今上天皇の御大典記念として修復事業を進めていた金剛力士像は、阿形、吽行ともに3m近くになり、全体を運び出すには専門の業者に依頼して3ヶ月ほどかかる見通しとなっておりました。また、これまでにどのような経緯で造立に至ったかという詳細な歴史は明らかになっておらず、お像の焼失は歴史が失われてしまうことも意味していました。

 そこで、なんとか部分的に頭部だけでも避難出来ないかと思い、修復を依頼することになっていた女性仏像修理師の三乗堂のお二方にご連絡し、急遽鹿沼からお越し頂く運びになりました。

 これまでのX線調査の結果、首周りには多数の釘や鎹(かすがい)が使われていることが明らかになってました。そのため、もし首の部材が釘などで固定されている場合には短時間での取り外しは困難になってしまうということでした。

 2体の金剛力士像に近づけるよう、地元の大工さんにお願いし簡易的な足場を組んで頂き、早速頭部の確認を行うと、釘は1本も使われておらず、胴体に差し込む形で組み上げられていました。また、胎内には棟板が確認され、お像造立の歴史を失うことなく、避難することに成功致しました。


大岩山毘沙門天の避難活動(2月25日)

足利市山林火災に伴う大岩山毘沙門天避難に足利工業高校の野球部の生徒が手伝いに来てくれている様子

 これまでに優先順位の高いものから避難をしていたものの、本堂内には数多くの歴史的な仏具が残されていました。平日のため、地元の方々のご協力をお願いすることが難しい中、限られた人数での作業となることに不安を感じておりました。

 すると急遽、足利工業高校野球部の生徒から、「何か手伝えることはないですか」、「今すぐにお寺に行きます!」、という連絡を頂きました。大岩山毘沙門天と足利工業高校野球部との関係は深く、毎年お正月に必勝祈願の護摩修行に部員全員で参加されていました。今回はその中でも6人の部員の方が、両親や先生に言われるでもなく、自分たちで思い立ってお手伝いに来て下さいました。

 日頃から鍛え抜かれた身体で、これまでに重くて外すことのできなかった鐘や厨子の額をはじめ、大型の灯籠や金の常花といった荘厳具など、残された歴史的な仏具を避難して頂きました。

 野球部員のみなさまのお陰様で、本堂内に残されたものはほとんどなくなり、無事に概ねの避難が完了致しました。帰り際には、「また運び入れる時には呼んでください!」と笑顔で言って下さいました。

 こうした地元の方々の支えがあって、開山以来1276年にもなる歴史を数えてこられたのだろうと深く感謝の念を抱きました。


大岩山毘沙門天の避難活動(2月26日)

 25日までで、大岩山毘沙門天本堂の避難は概ね完了していたので、26日には最勝寺本坊の書物といった歴史的な資料を避難することとしました。本坊内の経典や過去帳をはじめとした資料をまとめ、順次避難していきました。 


大岩山毘沙門天の避難活動(2月27日)

足利山林火災に伴って避難した大岩山毘沙門天の金剛力士像の応急処置

 2月27日は大岩山毘沙門天全体としての避難行動が概ね完了してきたため、24日に避難をした金剛力士像の応急手当てを致しました。

 24日の段階で、阿像吽像の2体の頭部を運び出すことができ、また吽像の右腕についても避難することができました。しかしながら、頭部を取り外した胴体部分には大きな穴が開いているままとなっておりました。このままでは、雨が降り注いだり、動物や虫が侵入しお像を傷つけてしまう可能性が考えられることから、応急処置としてビニールにて穴を塞ぐこととしました。

 工法や作業に関しては、足利市文化課の協力のもと、女性仏像修復師の三乗堂の皆様にご依頼し対応して頂きました。現在、金剛力士像は今上天皇の御大典記念事業として三乗堂さんにお願いし修復を行うこととなっておりました。(詳細はこちら

 今回の処置はあくまで応急処置となっております。今後梅雨など湿度の高い時期になる前に本格的な処置を施す予定です。なお、足利市文化課専門委員の専門家の先生方にもご相談しているのですが、こうした状態でお像を保存したという前例がほぼないらしく、新たな手法を生み出して対応していく必要があるようです。


大岩山毘沙門天の開山・開堂状況

 これまでに記した通り、足利市の山林火災の避難活動として大岩山毘沙門天本堂、山門、社務所、本坊などの諸堂から御本尊毘沙門天像をはじめとした仏像、仏具、絵馬などの文化財、絵巻物や過去帳といった歴史資料など、多くの物品を避難しております。

 鎮圧宣言が出された3月1日、避難した物品を徐々に運び戻す作業を開始致しました。その後、3月いっぱいは運び戻しや復旧作業を行っておりました。そして3月30日に御本尊毘沙門天、脇侍吉祥天、善膩師童子の三尊像を足利市の施設から運び戻し、本堂内の仮設須弥壇にお祀り致しました。三尊像は損傷が多くみられ、御厨子の中にお戻しすることができず、その前に修復が必要な状況となってしまい、当面の間は仮設須弥壇での出開帳を行うこととなりました。

こうして、4月1日より山林火災以前のように儀式・御祈祷を再開することが叶いました。そして御本尊様は本堂が再建されて以来260年間で始めて御厨子からお出になって、出開帳を行っております。

5月10日より31日までは出開帳の拝観を一時中断し、御本尊様の損傷状況や歴史に関する調査を行う期間といたします。

出開帳は6月1日より再開致します。


ご寄付のお願い

 この度の足利市の山林火災の避難活動に伴い、御本尊毘沙門天様をはじめ、御仏像や絵馬などの文化財を搬出致しました。長年に渡る経年劣化と搬出時の損傷により、再度御厨子にお戻り頂く前に、損傷状態の調査や修復が必要となります。

 2021年4月1日より、本堂内の仮設須弥壇にて出開帳を行っておりますが、損傷が激しく、持物などはお戻しすることができておりません。5月10日より出開帳を一時中断し、損傷状況の調査とともに修復にかかる費用などを見積もっていく予定でございます。2mにもなる御本尊様や3mを超える2体の金剛力士像の修復など、何分にも多額の費用が必要となってしまいます。

1300年近くの歴史を持つ寺院の、260年前に再建された本堂内に納められた御本尊様が今回始めて御出堂され、修復を迎えることとなりました。この先、数百年、数千年と歴史を伝え遺していくということも、皆様の御浄財によるご協力があってこそ、初めて可能になります。無魔所記目的を達成するために、何卒よろしくお願い申し上げます。

ご寄付頂きました際は、ホームページのお問い合わせ(こちら)より、お名前、ご住所をお知らせください。

御寄進賜りましたご芳名は、寄進奉賛帳に記載致し、永代ご祈祷申し上げるものであります。また、住所は修理状況の進捗やご連絡のみに使用致します。

大岩山毘沙門天 御本尊毘沙門天像・文化財修復奉賛基金

オンラインによる寄付の受付 一口 5,000円


修復が必要な御仏像、文化財一覧

  • 大岩山毘沙門天 本堂
    • 仏像 
      • 御本尊 毘沙門天像
      • 脇侍  吉祥天女像
      • 脇侍  善膩師童子像
      • 裏仏  氷掲羅天童子像
    • 絵馬
      • 本堂再建記念絵馬 七福神図
      • 竜宮珠取り図
      • 俳額 (小林一茶の句)
      • 神功皇后図絵

  • 大岩山毘沙門天 山門
    • 仏像
      • 金剛力士像(阿形、吽形)

※今後の調査により、修復が必要となるお像や文化財が増減する可能性がございます。判明次第、随時更新して参ります。