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大岩山毘沙門天 大岩山多聞院最勝寺 電話番号:0284-21-8885

宝物の絵馬・奉納額:大岩山毘沙門天本堂:栃木県足利市


大岩山毘沙門天の絵馬・奉納額案内

足利市の指定文化財である大岩山毘沙門天の絵馬・奉納額の写真スライドショー

毘沙門天本堂外陣西側天井の最古の絵馬である七福神
毘沙門天本堂外陣東側天井の絵馬・奉納額
毘沙門天本堂外陣東側の人形浄瑠璃図の奉納額
西洋透視図法を用いた竜宮玉取り図の絵馬
毘沙門天本堂外陣東側の小林一茶の俳額
毘沙門天本堂外陣中央の 天井黒龍図

大岩山毘沙門天こと大岩山多聞院最勝寺の本堂外陣には数多くの絵馬・奉納額が奉納されております。


絵馬とは

絵馬とは、寺社に祈願や心願成就の御礼を目的として奉納する木板に絵が書かれたものです。通常神社や寺院で見られる絵馬は20cm程度の小型のものが一般的です。


大岩山毘沙門天と絵馬

大岩山毘沙門天 本堂内部 絵馬や奉納額

大岩山毘沙門天は、一社寺としては県内でも有数の絵馬の奉納数を誇ります。本堂内部に130を超える絵馬や奉納額が掲げられています。20cm程度の小型のものから、2メートルを超えるものなど、様々な大きさの絵馬があります。
奉納されている絵馬の数、絵柄や祈願内容の多様さからも大岩山毘沙門天が多くの方々に信仰されてきた様子が伺われます。


絵馬・奉納額群:足利市の指定文化財

大岩山毘沙門天に奉納されている絵馬・奉納額群は足利市の指定文化財(民俗文化財)に登録されております。


大岩山毘沙門天最古の絵馬

大岩山毘沙門天最古の絵馬 七福神図

堂内最古の絵馬は、本堂が宝暦七年(1757年)に焼失した後、同十二年(1762年)に再建された際に奉納された七福神図になります。


特別貴重な絵馬・奉納額等の案内

大岩山毘沙門天本堂に掲げられている絵馬・奉納額の中には、全国でも非常に珍しく貴重な絵馬、奉納額も見られます。以下にその一部を記載致します。


天井黒龍図(本堂外陣の天井絵図)

大岩山毘沙門天の天井黒龍図

大岩山毘沙門天の本堂に入り、上を見上げますと、130を超える絵馬がご覧になれます。その絵馬のさらに奥、天井に目を向けますと、巨大な黒龍が天井一面に描かれています。


人形浄瑠璃図

大岩山毘沙門天 人形浄瑠璃図(絵馬・奉納額)

鮮やかな「菊慈童」が演じられている場面を表しています。絵師は高い技量を持つことで知られた澤山千です。


西洋透視図法を用いた「竜宮玉取り図」(絵馬)

大岩山毘沙門天 西洋透視図法を用いた「竜宮玉取り図」

藤原不比等が龍神に盗まれた「面向不背の宝珠」を、竜宮へ海女を潜入させて奪い返す図を表しています。この絵馬は、浮世絵と呼ばれる当時では珍しい西洋透視法(遠近法の一)が使われております。


小林一茶の俳額(奉納額)

大岩山毘沙門天 小林一茶の俳額

奉納額の中には、小林一茶をはじめ、全国の高名な宗匠の句が含まれる俳額がみられます。文芸上貴重な資料と言われております。
この句は他の複数の句集にも一茶の名で掲載されており、一茶の自信作の一つであると言われています。


大岩山毘沙門天と柳々居辰斎の絵馬

葛飾北斎の高弟である柳々居辰斎作の「毘沙門天像」の絵馬が見られ、国内においても非常に珍しいものとなっております。なお、辰斎作の絵馬は通常非公開となっております。
大岩山毘沙門天には 葛飾北斎の高弟である柳々居辰斎作の「毘沙門天像」の絵馬が見られます。
この絵馬は平成5年に行われた本堂改修工事の際、すべての絵馬が取り外された際、他の絵馬の裏に重なっているところを発見されました。
毘沙門天が鬼を踏みつける勇壮な姿が描かれており、絵の左下に「辰斎筆」の署名と「辰斎」の落款が押され、裏側に「安政七年」(1860年)の紀年銘と奉納者の名前が記載されております。


葛飾北斎の弟子 柳々居辰斎の画風

葛飾北斎の弟子には、①北斎の画風に似ているもの、②独自の画風を編み出したもの、の2つに分かれると言われています。高弟、柳々居辰斎は元来後者、すなわち独自の画風を持つ弟子だと考えられていました。
しかし、この絵馬の画風は師匠・葛飾北斎に酷似したものとなっています。この絵馬の発見により、今までの辰斎像を大きく塗り替えることとなったと言われています。


大岩山毘沙門天の絵馬・奉納額

<大岩山毘沙門天の絵馬・奉納額の動画 足利市指定文化財>

大岩山毘沙門天に奉納されている絵馬・奉納額が掲げられている様子を映像でご覧いただけます。毎月1日の護摩修行の日には、本堂を公開しておりますのでご覧いただけます。是非、護摩修行にお越しください。